小説家になりたいくらら

コラムやSS、短編を綴っているブログ。大学院生であり就活生。生きていくことに必死です。

淡白では生きられない

 

手の悴みに脇目も振らず、今朝もこうしてPCをカタカタさせています。どうも、くららです。

 

早い時間に眠ったから、昨晩のうちに届いていた友人からの連絡を見る。みんな優しいから、僕が大学(院)に赴かないことを心配してくれたりしていた。

 

今日は、一段と調子が悪い。時折、誰にも会いたくないし、誰とも口を聞きたくないという感情が炸裂する。そういう時は、自分の気持ちに甘えることが多い。今はまだ、それを辞めるべきなのか、僕には皆目見当もつかない。甘えられない状況に立たされたときにどうなるのかも、僕には判断できない。

 

名ばかりの窮屈なベランダに出て太陽を見てみると、遠くに聳える連なった雲と、肩を寄せ合うビル群に影ができていた。僕たちは全て、太陽のほうを見ているから、僕は一人だけ取り残された気分になった。

 

淡白では生きられない  

 

歳をとるごとに、反骨精神が力を発揮しなくなってきている。むかし持っていた快活さは、世界に対する怒りを原動力としていた。そこで養われた反骨精神も、今は効力を失ってきているらしい。

 

生きがいが欲しかった。いや、慰めと言ってもいいかもしれない。救いでもいい。そんな中、怒りは僕を少しだけ楽にした。行き先が分からなくとも、力があったから、どうにでもなると思っていた。

 

しかしもう、僕は怒っていない。ほとんど全く怒っていない。海は美しいし、太陽だって、昔に比べたら眩しいと思わなくなった。

 

僕の中から怒りが消え去った原因の正確なことはわからないけど、ともかく、代わりに力を失ってしまった。怒りに伴っていた だる気 と、反動で生じていた過剰な不安、形容しがたい鬱鬱の、それらだけが取り残されている。

 

人生に対して、ある種の淡白さがあるのはいいことのように思う。そういう人は、たとえ、道化でも、借り物でも、嘘つきでも、究極的には犯罪者でも、頭を悩ませることがない。彼らの思考が彼ら自身の足を引っ張らないというような淡白さ。しかし僕だって、そこまで淡白になりたいなどとは思っていない。ただ、淡白さに伴う快活さが、もう少しでもあったら、とは思う。つまりは、さっぱりと生きていきたい、ということだと思う。

 

僕はこういった話しをするとき、変な励まされかたをする。こういうのは伝えるのに苦労するから、しんどいと思ってるのが伝わってるのかもしれない。大抵は、聞こえのいい言葉を吐いてくれるんやけども、どちらも得をしない会話だし、その度に、申し訳ないなと考える。

 

おかしいのは僕なのであるから、何もいえなくても誰も悪くないし、僕も何かを言われたくて、そうしたことを話しているわけではない。

 

しかしそれでも、何かしらのヒントが欲しかったりもする。一体どうしたら、僕は自分の人生というものに、もう少し希望を持って生きていけるのか。10年前から湧き立っている疑問に、僕はずっと答えようとしてきた。そのために色々なものを見るようにしてきた。でも、そうこうしているうちに、怒りはどこか深くまで沈んで込んでしまった。

 

原動力を失い、理由を失い、どうやら今この瞬間もあらゆる可能性を失いつつあるらしい。

 

これが淡白さを失ってしまった人間の末路ということになるなら、笑い話の一つにもできるかもしれない。

 

(1350文字)