小説家になりたいくらら

コラムやSS、短編を綴っているブログ。大学院生であり就活生。生きていくことに必死です。

逃げることのすヽめ

 

8割ニート生活。どうも、くららです。

 

大学院生という特殊な環境にも慣れてきた(?)のだけど、俗世から離れているおかげもあって、ますます孤独な戦いを強いられています。そんな苦境に立っているのは僕だけかもしれないけれど。

 

逃げることのすヽめ

 

先日こんな記事を見つけました。

昨年の自殺者2万1140人、8年連続減 未成年は増加 - ライブドアニュース

 

確か昨年も似たような記事があったと思う。「未成年者の自殺率の増加」という残酷な事実が、残酷な世相を表している。そんなニュースです。

 

そもそも、自殺の原因は、様々だと思います。学生であれば「いじめ」が多いとはおもうけど、過酷な家庭環境を強いられていたり、今は昔に比べ、若いうちから様々な言語(言葉)を用いることのできる環境であるから、聡明な若者が世界への悲観を抱いて、その選択をしてしまったりと、原因自体は様々なんじゃないかと思います。

 

そして、その〈子供たち〉の自殺の原因を取り除くということに、〈大人たち〉がどれほど貢献できるのかわからないということ、それが僕たちの立たされている現状のように思います。

 

だから、僕は僕なりに、このコラムで「逃げることのすヽめ」を主張したいと思います。

 

と、それを主張する前に、現代における〈子供たち〉を取り巻く環境の中で、気になる点を2つ取り上げたいと思います。

 

1)ネットワークの拡張による自己喪失

 

ネットワークの拡張というのは、既存のベースであった学校あるいは会社、家庭などといった「場所」が、インターネットの発達によって、「場所」が増加したことを表しています。これは端的に「居場所」の増加であり、人間は学校や家庭以外でも多くの人と繋がり合うことができるようになりました。

 

居場所が増えることはいいことです。ネットには大切なものがゴロゴロ転がっています。

 

しかしながら、居場所が増えるということは、同時に、減る可能性もあるということを念頭に入れておかねばならないように思います。

そしてまた、居場所が増えるということは、自分自身の「キャラ」も新たに演じなければならない状況を招きます。

この自身の「キャラ化」は、その人の性質にあってこそいいものではありますが、実際には、「無理をしてる」場合も非常に多いと考えられます。

 

ネットワークの拡張は、必ずしも「自分にとって良いもの」というだけでなく、かえって、「自分にとって悪いもの」になる可能性が大いにあります。

 

また、ネットワークの拡張が〈関係の拡張/増加〉として考えられるなら、こうした状況は、いまだセルフケアができない若者にとっては、非常にしんどい状態であるとも考えられます。

 

2)価値の多元化に伴う自己喪失

 

ニーチェの有名な言葉で、「神は死んだ」というものがあります。

宗教を重んじる家庭に生まれた場合、「生きていく」ということの裏づけは十分にあります。言い方を変えれば、最終的には、そこに心の拠り所を見いだすことができます。

一方で、日本という国で、とくに現代の若者たちを取り巻く環境の中にあっては、「信じるに値するもの」というのは殆ど無いような状態です。宗教のように、1つの文脈で解決できてしまうような文脈を、子どもたちは持つことができません。僕が思うに、昔に比して、子どもたちは冷酷なまでにリアリストになってしまったと思います。

 

またニーチェの話しを持ち出しますと、「遠近法的主義」(パースペクティヴァリズム)というものがあります。

同一のテクストが無数の解釈を許容する。つまり、"正しい"解釈などというものは存在しない --F.ニーチェ

 

一般に、パースペクティヴァリズムはニーチェ思想を貫くものであったとされています。この引用を分かりやすく言えば、「ただ1つの価値にすがることはできない」ということになります。

 

このような状態では当然のことですが、物事に関する(多元化された)価値を、子どもたちは自分の目でしっかりと見定めなければなりません。子どもたちにその力がなければ、ひたすら盲目的に何かを信奉するようになるか、あるいは逆に、「何を信じたらいいかわからない」といった自己喪失を招く可能性があります。

 

1)と2)についての解決策や対策は、一つの問題提起として、このまま置いておきます。こうした状況から、これから先の、ずっと先の子どもたちがよりよく生きるために私たちに何ができるのかということ、それを考えることは、子どもたちの未来を考えることと、およそ同義だと思われます。

 

閑話休題

 

僕たちは「逃げていい」と、なかなか言えません。

 

1)で述べたような〈しんどい状態〉にある人に対しては、それが分かっていたら、「逃げていい」と言えるかもしれません。

 

しかし、もし子どもたちに、我慢ばかりさせているとしたら、それは問題があるように思います。子どもたちの多くは、少なくとも①学校での競争社会、②希望の喪失、③居場所の喪失の可能性に、いつも頭を抱えています。

 

そんな中、「逃げる」ことを知らない子どもたちは、「耐える」ことしかできません。子どもたちは褒められたり、励まされたら、それはもう頑張れます。多くの子どもは実直ですから。

 

僕が話したいのは、それ以前の話しです。しんどい世界の中で生きていくために必要なことは、「耐える」力でなく「逃げる」力であり、究極的には、自殺を防ぐには「耐える」のではなく「逃げる」しかありません。*1

 

だから、耐えることや、我慢することを教えると同時に、逃げることも教えてほしい。我慢する仕方を教えるなら、逃げる仕方も教えてあげてほしい。例えば、ご飯を食べる方法を教えて、排泄の仕方を教えないということはない、と僕は思う。

 

学校でも、社会でも、多くの場で、「頑張ること」を求められています。「頑張らなくてもいい」という余裕も、必要な場合があります。

 

こうした理由から、

僕は、逃げられる社会を作らなければならない、と思います。

 

(2670文字)

*1:以前、『イキガミ』という漫画を読んだ時、いじめられっ子がいじめっ子に反発する、という話しがありました。メンタリストのダイゴなんかも、同様の経験をしたというのを聞いたことがあります。この選択は勇気がいる素晴らしいものに違いはありません。しかし、これは子どもの決意性が極限まで高まっていないと起こらない「勇気」です。それは、いじめと同様かそれ以上のキッカケがないと、なかなか奮い起ちません。