消え逝く道の標べに

コラムやSSを綴っているブログ。

僕は、海に抱きしめられたい。

 

「よーい、どん!」で走れる人間になれればよかった。どうも、くららです。

 

アルコールを口に含んで意識を混濁させれば、世界も自分自身もどうでもよく思えてくる。どうにでもなるような気もするし、どうにでもなってしまえるような気がする。

 

誰かの一番になりたいとずっと思っていた。そのために何をしたらいいのかわからず、ただ日常をぼーっと生きていた。想念がどこか遠くのほうへ流れていって、僕の心の底には、残留した怒りや悲しみのカスが、散り散りになって積もっていた。

 

すぐにどうでもよくなってしまう理由を探してみると、僕は所詮「誰の一番にもなれない」という悲劇じみた言葉を思い出すことで、活気をなくしていただけだった。

 

少し考えれば理解できることから、ずっと目をそらしていた。誰かの一番になるなんて不可能だ。何を言っても、誰かを救おうと懸命になっても、誰かが用意している特等席の椅子に、僕の席は残っていない。

 

実際には、一番になる必要はない。そもそも誰かの心に、そんな席はそもそも用意されていないかもしれない。適材適所でいい。それでもなお、その席に僕の分は残されていないのではないか。

 

今まで、僕は何も選ばなかったのではないか。僕は何も選んでこなかったのではないか。それで選ばれることを求めているなんて、途方も無いほど馬鹿げている。選ばれたい、選ばれたいのだろうか。僕は誰に、何に、何をして、どのように、選ばれたいのだろう。消えてなくなる方がはるかに楽だ。だからそうか、僕は消えて無くなりたいと、姿形を消してしまって、この世界に僕ではない代わりがいてくれればいいとずっと思っていた。

 

僕でなければならない必要はどこにもない。口に含んだアルコールが胸に浸みているのを感じる。気持ち悪さが僕を襲っている。しかしこの気持ち悪さは、僕自身に向かっている。僕は僕が気持ち悪くてたまらない。

 

よく言われる。「具体的に何に悩んでいるのか」と。

 

そういうもんではないから、困っている。前に記事にしたけど、こうした問題に取り憑かれた人間なんだ。くだらないと思われたり、解決のできない問題。あるいはみんなが受け流すような問題、忘れ去られるような問題。そもそも、解決できるものはなんでも自分でしてきた。少なくとも、ありがたいことに、周囲の人間に助けてもらいながら、どうにか生きてこられている。ただ、僕にはその実感がない。生きているということが、やはりわからない。それはただそう呼ばれるようなもので、そこに何か特別なものはないのかもしれない。だけど、生きるということがなんだと言わようが、僕はただ生きていくしかない。この不快感をずっと感じながら、生きていく。

 

じゃあ、僕の具体的な悩みを話そう。

「就職」という事態が、おそらく一番僕にとって直近の悩みだ。

僕の目標は、ずっと僕のことを考えて、僕を育ててくれた母にちゃんと恩返しをすることだ。だから、ちゃんと就活をして、就職をして、お金を稼いで、旅行にでも連れて行ってあげたい。今まで頑張ってくれたから、老後は、少しでも楽をさせてあげたい。ありふれた夢だ。

じゃあ、就職をしたらいい。でも、僕にはビジョンが湧かないのだ。社会の歯車になって働くというイメージも、仕事にやりがいを持って働くというイメージも。そのどちらも、僕に「生きる」ということを感じさせる。僕はそれを必死に求めているのに、遠ざけいている。僕はたぶんずっと死んでいるのだ。人に優しくできるようになって、少しマシになった気がしていた。大学院にきて、少しはまともな人生を送れているように勘違いしていた。本当は何も変わってなかったのかもしれない。僕はずっと死んでいるのだ。

 

生きていようが、死んでいようが、僕はただここにいるだけで、実際には、表面的に、ただ働いていけばいいのだ。いや、僕には確実にわかっているが、僕は現実的に死にゃしない。死ぬことだけはダメだ。死んでいった友人のぶんまで僕は生きなければならない。今まで僕に少しでも時間を割いてくれた友人がいる、僕が少しでも幸せな人生を送れるように頑張っている母がいる、だから僕は死ぬべきではない。死にたくもない。

 

そうだ、僕はいい生き方をずっと探してきた。まともな人間になるために、まともな人生を送れるために、後から後悔しないように、うつむきながらではなく、少し上を向いて生きるために、どうしたらいいのか考えていた。

 

ごめんなさいじゃなくて、ありがとうと言いたい。

 

就職をして、少しは違った人生が始まるだろう。それがいいのか悪いのかはわからないけど。

 

僕は変われるだろうか。変わって、どうなるのだろうか。僕が例えば芸能人にでもなってちやほやされたら、僕は少しでも「生きている」と思えるのだろうか。それはわからない。変わる確証があれば、僕はそれに手を伸ばすかもしれない。ただ、僕は今までそうしたチャンスを手放してきた。僕に必要なものはなんだろう。

 

思えば、外面だけで飯を食うなんてなんて素晴らしい仕事だろう。僕も肉体が重要な要素だと思えていたら、少しは華やかな人生を送っていただろうか。言葉を使って、人を喜ばせたい、なるべく良い人生を送って欲しいと願う、そのためにできることをしたい、言葉を使うことで、人を慰めたい。なるべく多くの人に慰めを持って、生きて欲しい。僕の存在が、言葉が、その端緒になればいい。僕も慰めを持って、生きることに耐えられるようになりたい。

 

たびたび、坂口安吾の「海を抱きしめたい」という小説を思い出す。僕は彼のこの話が、とびっきりに好きだ。彼は表題の通り、最後の節で「海を抱きしめたい」と書き綴った。天国への門を見ながら、地獄への道を歩んでいた。僕は、たぶん、少し違っている。僕は、海に抱きしめられたい。人生の波を静かに立てながら、何もないずっと底に包み込まれていたい。その深さは、僕を救ってくれるだろう。

 

僕は、海に抱きしめられたい。

 

(2410文字)