小説家になりたいくらら

コラムやSS、短編を綴っているブログ。大学院生であり就活生。生きていくことに必死です。

『スーツの男』

 

『スーツの男』

 

    ーーここではない。
    僕はそう思った。四方が白く囲まれた真っ白い小さな部屋を飛び出した。僕は息が切れるまで走り回った。すると、同じところに迷い込む。目の前には道が続いていない。部屋に入るしかない。どん詰まりだった。この迷路を抜け出すには何が必要なのだろう。
    ーー何をお探しですか。
    後ろを振り向くと、スーツの姿の男がいた。いつから立っていたのだろう。この男も、扉を開けて入ってきたようだ。不敵な笑みを浮かべているせいか、男の目はとても細くなっていた。ネクタイは上までしっかりと締め挙げられていて、見ているだけで窮屈だった。
    ーー何かを探しています。何かはわからないのだけども。でも、ここにはないんです。
男は不敵な笑みを浮かべたまま、口だけを動かす。とってつけたような顔だった。
    ーーあなたが探しているものは、どこにもないのです。ここではなく、この世界のどこにもない。
    僕は飛び出した。急に、ネクタイの男が怖くなったのだ。人形が話すような不気味さに、全身が震え上がる。僕は走り続けた。
しばらく走り続けると、僕は同じところにふたたび戻ってきたということに気づいた。何度目だろう。
    ーースーツの男が来るかもしれない。
    僕はそう思った。今すぐにでも逃げ出したいが、再び戻ってくる可能性を思えば、ここを抜け出す鍵をもっているのは、スーツの男だけだった。この迷路で、唯一話しのできる人間に出会った。もしかしたら、人の形をした別の生き物かもしれないけど。ともかく、僕はスーツの男を待つことにした。

    ーー何故、座り込んでいるのですか。
    男が来た。僕は待つことに疲れ、半分ほど意識を失っていた。反応が遅くなったおかげで、男は続けて話した。口角はさっきに比べて少しだけ下がっている。
    ーー何をお探しですか。
    僕は怒りを込めて答えた。
    ーー何かを。さっきも言ったじゃないか。
    僕の怒りも虚しく、スーツの男は顔色ひとつ変えない。
    ーーそれでは、ここにあなたのスーツを置いていきます。私の役目はこれで終わりです。では・・・ご武運を。
    僕は、そう言い放ち去っていくスーツの男を見ていた。僕は彼が置いていったスーツを着て、追いかけなければならないと思った。《何か》を捨てて。
    僕は選ばなければならなかった。しかし、スーツの男を追いかける力はすでに残っていなかった。しばらくして、僕は用意されたスーツを手に持ち、ふたたび迷路を彷徨う。数時間、いや数年ほどそうしているように思えた。時間の感覚は消えてしまった。僕は迷路を抜け出せない。手にもったスーツを広げてみる。これも悪くないように思えた。
    僕はスーツを着る。すると、目の前には迷路に迷い込んだ人がいた。そして、口を開く。
    ーー何をお探しですか。

 

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