小説家になりたいくらら

コラムやSS、短編を綴っているブログ。大学院生であり就活生。生きていくことに必死です。

大丈夫、大丈夫だ。僕たちの未来は暗くない。

 

真っ暗な闇の中を歩いてきた人へ。これからずっと先、その闇は続くかもしれないし、それでも歩き続けていたら、もしかしたらと思って振り返って見てみるといい。闇は後ろの方で手ぐすね引いて、こちらを見ているかもしれない。

 

どうせなら、あなただけの闇を大事にしてほしい、と僕は思う。

 

あなたは、あなただけの生き方をしようと十分に頑張ってきたし、その闇も、あなただけの世界だ。

 

ひょっとすると、いいことなんてなかったかもしれない。いいこともあったけど、今とってもつらいのかもしれない。あなたは、あなたが周囲に理解されないことが、苦しいのかもしれない。

 

「人はみんな違うから」なんて言うし、「大人になったら変わるよ」なんて言ったりもする。でも、僕はどっちも信じられないタイプの人間だった。

 

たしかに人間は変わり続けると思う。今のあなたの考えの多くは、十年後には180度変わっている可能性が高い。それでも、僕の闇はまったく消えることがなかったし、今でもすぐ後ろに控えてる。「どうせすぐにお前はこっちに来るんだから」、と僕を待ってる。

 

でも時々、希望が見えることがあった。それは、1年、365日のうち、ほんの何日かだったと思う。ふとしたときに、「なんか悪くないんじゃないか」って思うことがあった。今でも、僕にはそんな日がたまにあったりするくらいの日常だ。あとはだいたい、「しんどい」「つらい」「なんでこんなんなんだろう」「未来がない」「死んだほうが迷惑をかけないんじゃないか」「いっそどっかに消えて一人でひっそり生きていくほうがいいんじゃないか」「救いようのないクズだ」「ほとんどの人間を敵だと思ってるのに理解を求めるなんて都合がいい」そんなんばっかりだ。

 

ただ、僕は、絶対に理解されないなんてことはないと思う。僕の暗部を、いや、暗部を包括した全てを知ったうえで、理解を示してくれる人がいる。少なからず、いてくれていると思ってる。

 

僕が転んだとき、きっと手を差し伸べてくれる人が。もしかしたら、これは驕りかもしれない。でも、まったく理解されないし理解する気もないと思って生きていたのに、気づいたら、少しだけ僕にも慰めの手が差し伸べられた気がする。

 

クソみたいな人生だった。今でもクソみたいな人生だ。

 

僕は「人生は博打だ」を体現しているうちの一人だ。この人種のうち、偉大な希望を抱いている人間が8割を占めるのに対して、残りの2割は僕みたいに、それを余儀なくされた人種だと考えている。これは、初期衝動の問題だ。絶望から始まったのか、希望から始まったのか。これは圧倒的に厚みが違う。だけど、どちらが良いとかはない。不幸なことに、比較できない苦痛の重さが違うだけだ。

 

クソみたいな人生だけど。

 

どうやら僕たちは、不条理な運命に立ち向かわないとならないらしい。明日はまったく明るくないかもしれない。明日には崖から転落して、人生の一切がめちゃくちゃになるかもしれない。もはや、それは生き方の問題を超えてしまっている。

 

自分の人生を認めることだ。胸を張る必要はまったくない。今自分の立ち位置はここだけど、じゃあ、これからどんな生き方があるのかと考えていくしかない。この転換の繰り返しでしか、僕たちは軌道を修正することができない。自分の人生を認められなければ、何も始められない。何度も確認するしかない。そして何度も間違えるしかない。

 

「七転び八起き」なんて言うけど、別に転んだら、寝たままだっていい。起き上がる必要のある人間は、それに違和感を抱く人間だ。

 

寝て熟成するものだって多くある。失敗から学ぶのではなくて、失敗して考えることで学ぶのだ。考えること抜きに、何も学ぶことはできない。だから転んだら、寝たまま考えてればいい。その暗部に、包み込まれたって、何も問題がない。ゆっくり起き上がればいい。

 

これから数千年以上、想像もつかないほど先の先までおそらく人類は繁栄していくだろうけど、僕は自分のような人間に向けてしゃべり続けたい。まだ生まれてもない人間が、いつか僕の声に耳を傾けるかもしれない。いや、そんなことなくてもいい。それぞれの機会に際して、人生を歩んでいける力を養っていければいい。そんな人が一人でも増えたらいい。自分の人生と、今生きている人々が、そしてこれから生きていく人々が、少しでもよく生きれるようにと願っている。

 

だから、僕は繰り返し言うことで、そう思うようにしている。

 

僕たちの未来は暗くない。

 

(1820文字)